第 13 章  ナインのキス




その夜の宴は宮殿の中ではなく、競技を行なったあの円形闘技場近くの森のなかに設けられました。絡み合う大枝の下、しつらえられた宴席が長くT字型に伸びています。野外に席を設けることになったのはナイン王の発案でした。ナインは火とかげの大群に襲われたあの大広間を嫌ったのです。この趣向も実際悪くない、とレゴラスは思いました。すっきりと晴れ渡った空に心地よい夜気、そこかしこでは蛍の群れが見えています。

枝につるされたランターンから、柔らかい銀の光が卓上に影を落としています。広い宴席いっぱいに美味しい料理が並べられ、給仕のエルフがスイートワインの杯を空にならないよう絶えず注いでまわりました。エルフたちの涼やかに歌う声が絡みあう和音となって、調和の取れた旋律を奏でています。レゴラスは晴れやかな気分にいつしか自分も歌にあわせてくちずさみんでいました。今までレゴラスはこんなに幸せな気分になったことはありませんでした。

エルロヒアが首をかしげ、レゴラスをみてにっこりとほほ笑みかけました。これからのことを約束するようなその笑顔に、王子もつられて笑みをこぼします。レゴラスは反対側に座るエルラダンのほうを見やりました。双子の兄の手がテーブルの下からすっと太腿に伸び、足の付け根に軽く触れてから去っていきました。こんな完璧な夜はありませんでした。

といってもレゴラスにはひとつ気になる点がありました。なにやら父の様子が変なのです。王は、ドワーフ達や側近らとともに、レゴラスから10フィートほど離れた上座の席に座していました。侍従長の様子までもがどこか変でした。侍従長はまるで夢でもみているかのように上の空で、スランドュイル王の腕が触れるたびにぴくりと体を飛び上がらせるのです。

父王スランドュイルの顔は、飲み干したワインの量を表すかのように上気しています。上着は着ておらず、はだけたチュニックからは胸元がのぞいています。夏の花々でこさえた冠も、頭上で斜めに傾いています。父王がヴァンデにもう一本ワインを持ってこさせて、ナインの杯に注がせました。父が酔いを深めていくのをレゴラスは後が怖いなと思いながら見守りました。こういうとき自分の父親がどうなるかレゴラスは嫌になるほどよく知っていたのです。

さらに不思議なことがありました。今夜、父王は全神経を隣にいるナインに集中しているようなのです。父王はときおり軽く肩を叩いたり、腕に手を置いたりと、あのドワーフ王の身体に気安く触れています。エルフ王が耳元でなにか囁くとナインが大きな笑い声を上げました。

ふと、彼の父をエルロヒアが不思議な表情で見つめているのにレゴラスは気がつきました。わずかに口の端の上がったその美しい横顔はまるで何か起こるのを期待しているようにさえみえました。

何? どうしたの? まわりに聞こえないよう、レゴラスはエルロヒアに聞きました。けれども双子の弟はレゴラスをちらりとみて楽しそうに首を振るだけで、ワインを注ぎにきたヴァンデにグラスを上げました。


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夜になってもスランドュイルの欲求不満は高まっていく一方でした。なんとか気を逸らそうとした試みはすべて失敗に終わり、ずきずきと疼くこの股間の昂ぶりを何とか収められないものかと、スランドュイルは酒をあおりました。しかし熱がおさまる様子はありません。宴の席、スランドュイルの隣にナインが座るまで、スランドュイルはどうすればいいのかまったく見当もつきませんでした。しかし今やスランドュイルの目はドワーフに釘付けでした。

大きく曲がった鼻は実に堂々として見えます。奥目がちの瞳は英知に輝き、それにこのひげといったら ……。これまでにスランドュイルがひげを魅力的と思ったことは一度もありませんでした。なのにいま、彼の心はこのドワーフ王のひげでいっぱいなのです。あのひげに指を差し込んでその下の地肌に触れたら、あの絹のような豊かな毛に指を絡めたら、いったいどんな心地がするだろうか。その手触りはミンクの毛皮にも匹敵するに違いない、そんな考えが浮かびます。

頭の片隅で自分を叱責する声が聞こえます。馬鹿馬鹿しい、スランドュイルよ、いったい何を考えてるんだ? ドワーフに関心を抱くなんて、お前は狂ったのか! しかしいまやスランドュイルはナインから目が離せませんでした。何とも抗しがたい欲情が涌きあがり、耳に届くナインの声は意味をなしません。その代わり、王はドワーフ王の口元の動きをただじっと見つめていました。ひげのあいだからナインの上唇が覗いています。それを目にするとますます下半身が疼きました。まったく今夜の森はどうしてこんなに暑いのでしょうか?

スランドュイルはとうに上着を脱ぎ捨て、そよ風が胸元にあたるようチュニックをくつろげていました。ほっとできたのもほんのつかの間、スランドュイルはうっとうしく身にまとわりつくこの衣をなんとかできないかと考えました。

「殿!」スランドュイルがチュニックの止め具をさらに下まで外すのをみてタラガンが注意の声をあげます。が王は侍従長を無視して、ワインをもう一口含むと、舌の上で転がしました。

突然スランドュイルはもうこれ以上、耐えられないと思いました。気を紛らすために何かしなくては。ふらつきながらスランドュイルは立ち上がりました。

「友よ」スランドュイルが始めました。「今宵われわれは、北方の隣人たちとのこの新しい同盟を祝うため、この席に集まった」近くに座っているドワーフ達をおぼつかない調子で差し示します。「闇が増大するこの時代、我々がまた同盟を結ぶこととなったのも必定のことといえるだろう。だが今回のこの同盟は、友情と尊敬を糧としてこれからも成長し続けてゆくことを、私は願っている」

「謹聴、謹聴」ナインが叫びます。ナインも立ち上がり、かたわらにそびえるように立つエルフ王を見上げました。「エルフとドワーフの新しい同盟に乾杯!」彼は一口でグラスのワインを飲み干すと、手の甲で唇を拭いました。スランドュイルも杯を空けると、全員が後に続きました。

「ナインよ」先ほどより声の調子を柔らげて、スランドュイルが語り掛けました。震える手でグラスを卓上へと置きます。「そういえば、貴公は同盟締結の証として私の口づけを所望していたな。今、それを授けよう」

スランドュイルは身を低くして、両手でドワーフ王の肩を掴むと、まず片方の頬、そして反対の頬へと音を立ててキスしました。頭ではもうやめなくてはと思うのに、身体が勝手に動きます。ドワーフ王は驚愕と混乱で目を見開き、腕を振り回しています。エルフ王の唇がナインの唇に重なりました。

この接吻の効果は、スランドュイルの想像をはるかに超えたものでした。唇から口、体そして下半身へと、熱いものが稲妻のように身体中をめぐります。あらがうのをやめたドワーフの口にスランドュイルは舌を突っ込みました。スランドュイルはナインのどっしりとした身体に身体を押し付けると、自身の昂ぶりがこれ以上ないほど堅くなるのを感じました。

そして先ほどのキスと同じほど突然に、スランドュイルは待ち焦がれた放出を得たのです。快感の波が怒涛のように押し寄せ、身体中に震えが走ります。呆然とするドワーフからよろめくように離れると、スランドュイルは声にならないうめき声を上げながら、倒れこむように背後の椅子へどさりと腰を降ろしました。


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スランドュイルがドワーフ王を乱暴に引き寄せたときの反応は来賓ごとにさまざまでした。父がナインの唇を襲うのを見てレゴラスは、うわっと声を挙げ、がたんと音を立てて椅子から立ち上がりました。「ああマンドスの館よ! 父さんったら、なにしてるんだ!」レゴラスの声が怒りで震えます。

エルロヒアの手を腰に感じてレゴラスは目線を下にやりました。双子の弟は唇をぴったりと閉じ、懸命に笑いをこらえています。もうひとりの片割れを見れば、同じようにエルラダンも唇を震わせています。レゴラスは腰を下ろしました。

口づけを終えた父王が肩を落とし、ぶるりと震えるのがレゴラスの目に入りました。その表情は痛みに耐えるかのように歪み、目が白目になっています。ドワーフ王を放すとスランドュイルは喉に引っかかったような呻き声をあげて、後ろの椅子にどさりと座りました。

「友よ、あれはたぶん王にとって生涯最高のキスになるだろうな」笑顔のエルロヒアが王の方向にグラスを掲げて言いました。

必死に笑いを抑えているエルラダンは肩が小刻みに震えています。

怪訝そうに2人の様子を見ていたレゴラスでしたが、やがて2人の笑いが伝染したかのように笑顔になりました。


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スランドュイルは椅子の背にもたれたまま、激流のように駆け巡る快感にしばらく身を任せていました。べっとりとした下半身の感触に下を見ると、レギンスに染みが浮きだしてきています。スランドュイルはあわててナプキンを取り、サッシュベルトに端を掛けてこの濡れ染みを隠しました。

そして目を上げると、一同の驚愕の表情が王の目に留まりました。

スランドュイルは思わず吹き出しそうになりました。ああ素晴らしい! 時にはこうやって皆を脅かすのも悪くない。側近たちがいくらぼんやりしていたって、これなら目も覚めただろう。スランドュイルはどうしてこのドワーフにキスしてしまったのか、いまだに自分でもよくわからないままでしたが、それでもナインに対するあの渇望がやっとのことで収まったので内心ほっとしていました。

「まったくナイン王よ、よもやこの侮辱に黙って引き下がるとは言われますまい!」グルンディンが唸りました。彼は席を立ち、手にはダガーを握っています。

けれどもドワーフ王は首を片方にかしげ、落ち着いた様子でじっとスランドュイルを見るだけでした。「座れ、グルンディン」ナインが命令します。指で口ひげをさすると体を傾けてスランドュイルに耳打ちします。「わが王よ、そんなにわたくしのことを想っていてくださったとは、うかつにも気がつきませんでした。良ろしかったら出発を数日延ばしても構いませんぞ。互いのことをもっと深く知り合うにはよい機会ですからな」ナインが手を伸ばしてエルフ王の太腿をすっと撫でました。

スランドュイルの背筋が凍りました。スランドュイルはしばし完璧に言葉を失って、何とかこの事態を切り抜けなくては、とあわてて頭をめぐらせました。視線をさまよわせ宴席の向こうを見ると、下の息子が笑顔を浮かべて自分を見ています。その隣では、あの頭に来るペレジルたちも、レゴラス同様にスランドュイルを見てにこにこしています。スランドュイルはむむぅと唸りました。王は振り返ると後ろに控えたエルフを呼びました。「ヴァンデ、来賓にもっとワインを」王が手でさし示すと、エルフは急いでその方向にワインを注ぎにいきました。

「ナインよ」スランドュイルは大きな声で言うと、自分の腿からドワーフ王の手を外してテーブルの上にしっかと押し付けました。「さっきは勢いで、ちと過ぎたことをした。許せ。このワインは強いのだ。だがな、私は貴公に対する尊敬の念と、それから北方の脅威にともに立ち向かう証として、今回の旅にわが息子、レゴラスを遣わすと決めた。貴公の探索の旅にいまひとり、素晴らしい戦士が加わるぞ」

「王子の腕は昨夜の活躍でしかと見せていただいた。息子殿はこの王国の最も素晴らしい宝石も同じこと。その息子殿をお借りできるとは、スランドュイル、貴殿は実に懐の広いお方だ」ナインはそう言うと目線をレゴラスに向けました。

「昨夜のあれは両手剣であったな。貴公はまだあれの弓の腕を見ておらんだろう。50歩先の蚊ですら射抜けると言われる腕前だ。どうだ、見てみたくはないか?」

「おお、それは面白そうだ」ナインの声が響きました。

レゴラスはエルロヒアに囁きました。「今度は蚊だって。いったい何考えてるんだか」

「息子よ、こっちに来い」レゴラスは気乗りしない様子で席から立つと、エルフ、ドワーフ、ともに好奇心あらわに見つめる中、王のそばへと行きました。父王の顔は酔いにつやつやと光っています。レゴラスの嫌な予感はますます高まりました。

「ナインよ、なんでもよい、貴公の言われるものすべて射抜いて見せよう。賭けてもよいぞ」スランドュイルが大げさな身振りで言いました。

「賭けとおっしゃいましたな?」ナインが念を押しました。「面白い! ではあちらの木の節穴はいかがかな?」

「レゴラス」スランドュイルが言います。

「僕の力だとぎりぎりの距離だ。父さん、弓を取ってくるよ」王子が言います。

「要らん。トーリンのを使え」スランドュイルが手招きすると、森の闇に紛れていた警備兵が一歩進みいで、レゴラスの手に弓を置きました。王子は瞼を閉じて、片手で額をさすりました。

「ナインよ、賭けるものはなんとする?」

ナインが身を斜めにして、小さな声で王の耳に囁きました。「もし息子殿が外したら、私は貴殿との一夜を所望する」ナインはそう言うと今度は大きな声で言いました。「で王よ、貴殿のほうはいかがする?」

「レゴラスが的に当てたなら。--- 次の標的を選ぶ権利は私のものだ」

「よろしい」ナインが言いました。

「レゴラス、始めろ」スランドュイルが胸のところで腕を組み、言いました。

レゴラスはため息をつきました。一同が息を呑んで見つめる中、レゴラスは慎重に弓を絞って矢を放ちます。ざくっという音を立て、的とされた節穴に矢が突き刺さりました。

ドワーフもエルフも歓声をあげて手を叩きます。

「いいよ、レゴラス!」エルロヒアが大きな声で呼びかけると、王子の口の端が少しだけ上にあがりました。

「素晴らしい」スランドュイルが叫びました。「これで次の的を選ぶのは私だな。レゴラス、宴席の向こう端に行ってそこに立て」

全員が注目する中、レゴラスは縦に細長く伸びた宴席の向こうまで歩き、端から少し離れた位置に立ちました。父王からは25フィートほどの距離です。

スランドュイルが果物を盛った盆から林檎をひとつ手に取ったかと思うと、ナインの頭の上にそれを載せました。「息子よ、次の標的はこれだ」スランドュイルが告げました。

全員があっと息を呑みました。ナイン王も驚いています。レゴラスはひんやりとしたものが背筋を駆け巡るのを感じました。

「殿、このようなことは許可できませぬぞ!」ナインの顧問団のひとり、ノリンが叫びました。

けれどもナインはゆっくりと静止するように手を上げました。「もう賭けは始まったのだ。もしここで私がやめると言ったら私の名誉はどうなる?」ナインが続けます。「レゴラス殿、準備ができたら始めて下さってよろしい」

ナインの周りの来賓はみな転げるように椅子から退きました。しかしスランドュイルは落ち着き払った様子でドワーフ王の右隣に腰掛けたままでした。

「父さん」レゴラスが声をかけます。「どうしてもやるの?」

「私の名誉もかかっているのだ。やれと言ったらやれ!」スランドュイルが雷を落としました。それから王は声を和らげ、こう言いました。「息子よ、信頼しているぞ」

怒鳴られたよりも最後の一言がレゴラスの心に響きました。レゴラスは唇の内側を噛み、重い弓弦を慎重に引きました。遠くに見える林檎が視界の先で揺れています。深く息を吸い込むと、ついにレゴラスは矢を放ちました。矢はまっすぐに的を捉えました。割れたりんごの身の欠片と汁がドワーフ王の背後、木の幹へと飛びちりました。

一瞬の沈黙の後、エルフたちは歓声を上げてテーブルを叩きました。レゴラスは深く息をついてから、自分の椅子へと座り込みました。

ドワーフ一行はすぐさま口々になにやら叫び始めました。幾人かは怒ったようにスランドュイルを指差しています。

グルンディンがナインに言いました。「2度にもわたる陛下への侮辱。もう我慢なりません。我々は今すぐここを発つべきです」グルンディンはスランドュイルの方を向くと、怒り露わに告げました。「息子殿が的に当てたのは幸運だ。もし我が王に当たっていれば、今ごろ戦争が勃発しておりますぞ!」

「あの予言のことを忘れたか」スランドュイルは落ち着き払って答えました。「ナイン王の息子は竜と逢いまみえる定め」スランドュイルがちらりとナインを見ます。「貴殿にはもう息子殿がおられたかな?」

「いいや、ご存知でしょうが」ドワーフ王が答えます。「私に息子はおりません」

「ではまだ貴殿は死なんだろう」スランドュイルの顔に笑顔が広がりました。

グルンディンがふんと鼻を鳴らして椅子にすとんと座ります。ナインは大きく息を吸って、高らかに笑いはじめました。「私と器を同じくするものと出あいましたぞ」ナインが言いました。「わが王よ、あなたはどうかしている! それとも今回のこれは、わたくしの提案をそれとなく拒むためのものだったのですかな?」

スランドュイルも笑顔になるとぱしんとナインの背中を叩きました。「ご名答。しかしだからといって今宵を共に過ごさぬ由もない。ここですべてのワインを飲み干そう。ナインよ、私は貴公が気に入った」

ドワーフ王は頭を後ろにのけぞらせて、ますます大きく笑いました。


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「なんて腕だ!レゴラス、素晴らしかったよ」無表情に席に戻ったレゴラスに、エルラダンが興奮して話しかけました。「カラズラスの雪も溶かすようなあのキスの次には、あやうく頭を半分にかち割られそうになったっていうのに、ナインもたいした度胸の持ち主だ。君の父上ときたら、本当にどうかしちゃってるよ」

王子がうっすらとほほ笑みました。「ナインの言うことは一理あるよ。父さんはいつもちょっとねじの外れたところがあったけど、今夜はついに最後までやらかしたって、それは僕も思った」レゴラスは双子たちの顔をじっと見つめました。「そしてその理由については君たち2人が何か知ってるんじゃないかって思ったんだけど」

「ああ愛しい君」エルロヒアが王子に身体を寄せると軽くその肩を揉みました。「今夜は美しい夜じゃないか。場所を変えよう、それからちょっとこの …… 緊張をほぐしたほうがいい」

レゴラスが笑顔になりました「わかったよ。じゃあ」3人は席を立ち、何事もなかったかのようにナインと冗談をかわしているスランドュイルに向かって礼をしました。エルフ王が追い払うような手振りで退出の許可を与えます。宮殿に向かう小道を3人は歩いて行きました。

草原を歩いてゆくとレゴラスは一匹の蛍をつかまえました。レゴラスの手のひらが蛍の燐光で赤く染まります。レゴラスが手の中の蛍をそっとエルロヒアに手渡すと、エルロヒアはまるで世界で一番の宝物かなにかのようにそれを受け取りました。小さな虫はもぞもぞとエルロヒアの指の先を這い登り、羽を広げたかと思うと、ぶーんという音をたて暗闇のなかへと飛び去って行きました。

「あの蛍は自由に飛び立つとき、どんな気持ちがするのかな?」レゴラスが不思議そうにつぶやきました。

王子の姿に見惚れていたエルロヒアはその言葉を聞いて思わずほほ笑みました。エルラダンはそんなエルロヒアをじっと見つめていました。3人は宮殿の大門近くの石橋にさしかかりました。頭上には一面の星空が広がっています。レゴラスは夜空を見上げてほうとため息をつきました。エルロヒアがレゴラスの片方のひじを取りました。エルラダンも反対側から同じように腕を取ります。3人は腕を組み、レゴラスの部屋に向かって歩いて行きました。

ぴったりと寄り添った王子の身体の温もりが、エルロヒアをなんとも落ち着かない気分にさせました。エルロヒアがレゴラスに対して抱くようになったこの気持ちは、これまで兄以外、どんなエルフにも持ったことのないものでした。ところどころ煙の昇る松明で照らされる曲がりくねった階段にさしかかった頃、エルロヒアはどうにも血が騒ぎだしました。手を伸ばしレゴラスのお尻に触れてみると、布越しに動く引き締まった筋肉が感じられます。エルロヒアはうれしくなりました。

王子がはっと息を呑みました。「着くまでまてないのかな?」レゴラスがにやっと笑います。

「待てないね」エルロヒアが答えます。「君のお尻が好きなんだ」

「今日の午後でそれは十分わかったよ」レゴラスが喉奥で低く笑うと、エルロヒアの下半身をずきりとする感覚が襲いました。

エルラダンが手を伸ばしエルロヒアの手を抑えました。「兄弟、落ち着けよ」

「彼っていつもこうなの?」レゴラスがエルラダンに訊ねます。

「そんなことないさ、でも」エルラダンが笑います。「いったんその気になると歯止めがきかない性質(たち)なんだ」

「ってことはエルロンドの息子よ、君は今、その気なんだ」レゴラスがエルロヒアに身体を密着させ、冗談めかしてまつげをぱちぱちさせました。

エルロヒアは答えるかわりにレゴラスを壁に押し付けました。肩を押さえると、じたばたする王子にかまわず激しく唇を奪います。レゴラスがエルロヒアのわき腹をくすぐって対抗すると、我慢できずに笑い出したエルロヒアが王子を離しました。王子は身をひるがえして廊下の向こうへと駆け出しました。「つかまえてごらん!」レゴラスが声をかけます。しんとした階段にレゴラスの笑い声が響きわたりました。

ああ神よ! エルロヒアはこの王子の声、そのしなやかな動き、香り、味、そのすべてに魅了されていました。エルロヒアは兄に先がけ自分も走り出すと、これからあの魅力的なエルフにしてあげるつもりの色んなことを思い浮かべ、自身を堅くさせていました。


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「気をつけて、殿、あと少しですよ」タラガンが言いました。

真夜中をとうに過ぎたころ、侍従長は泥酔した王を引きずり王の寝室へと向かっていました。王の腕を首にかけ、その体重によろめきながらタラガンは歩いていきます。やっと寝台に辿りつくと、スランドュイルは石のように倒れこみました。タラガンはスランドュイルの靴を脱がせ、体に寝具を引きかけました。それからタオルを湿らせて、そっと王の顔を拭きました。

スランドュイルが呻きながら寝返りを打って、うっすらと瞼を開きます。過ぎた酒のせいか、その吸い込まれそうなその青い双眸も、いまはいつもより優しげでした。「タラガン、お前は …… いいやつだ」王は呟くようにそう言うと、深い眠りへと落ちていきました。

侍従長は王を愛しげに眺めました。今夜は不思議な夜でした。午後、スランドュイルが彼の腕をつかんで額に口づけたとき、タラガンは一瞬、王に押し倒されるのかと思ったのです。思い出すだけでタラガンは胸がおののきました。とはいえ、もしそうなったとしてもタラガンは自分が王に抵抗したかどうかはわからない、そのようにも思っていたのです。夜にはまた、王はナインに不可解な接吻を与え、それからナインを標的にしてレゴラスに矢を引かせました。今宵の王の奇行の理由(わけ)について、タラガンは考えを巡らせました。あれはまるで、なにか、王に取り憑いていたかのようです。気をつけておかなくては。そう考えるとタラガンは気を引き締めました。

ふうと息をつくと、タラガンは王の髪を首筋で整えて、それから憧憬の交じった眼差しで王の豊かな唇を見つめました。気難しく、台風のようにきまぐれなこの王は、それでもタラガンを別の誰かに仕えたいとは思わせない何かを持っていました。タラガンは衝動的に顔を近づけると、そっと王に唇を重ねました。「良いお休みを、殿」タラガンはそう呟くと、王の部屋を去りました。


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3人はレゴラスの広い寝台に横たわって、今しがた共有した快感の余韻を全身で感じていました。まとわりつく汗に絡めたままの手足。エルロヒアが指で王子の鼻をなぞりました。「愛しい君、今のはすごくよかった」そう言うと優しく王子に口づけます。

「すればするほど良くなるみたいだ。こんなことってあるんだね」レゴラスがほぅとため息をつきます。

「君たち2人がやってるところを見るのは …… 実にそそられるね」レゴラスを中央に、エルロヒアとは反対側に寝そべったエルラダンが言いました。エルラダンは王子の体越しに足を伸ばすと、つまさきでエルロヒアのふくらはぎをさすりました。「この感覚の共有だって、すぐに醒めてしまうのが惜しいくらいだ」

レゴラスが欠伸をしました。「だけどそろそろぼくは君たち2人を追い出さなきゃ。まもなく夜が明ける。君たち、夕べはほとんど寝てないんだろ?」

「ああ、全然だよ」エルラダンが言います。「けど今日はもう出発だ」

「ああ、待ちきれないよ」レゴラスが言いました。

「今のうちに柔らかい寝台を楽しんで、愛しい君」エルロヒアはそう言って、軽く唇を合わせるだけのつもりでレゴラスに口づけました。けれども気がつけば、またもやエルロヒアはレゴラスの唇に蕩かされてしまい、初めの意図に反してエルロヒアは、魂を内側から開くかのように口を開いて口づけを深めていました。

「兄弟、もう十分だ!」エルラダンがエルロヒアの肩を押しました。「森エルフに欲情するのはまた今度、別の機会にすればいいだろう」エルラダンが寝台から立ち上がって、レゴラスにお辞儀します。「我が王子よ、素敵な夜をありがとう」

レゴラスはこくりと頷くと、服を探す双子たちを横目にうっすらとほほ笑んで、また寝台に横たわりました。






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