第 12 章  和 解



体を洗って衣装を調えると、エルラダンとエルロヒアは部屋を出てレゴラスを探しにいきました。けれど求めるエルフの姿は居室にはなく、実際宮殿中どこにも見当たりません。2人が大広間へと続く階段を降りていると、先ゆくエルフ乙女があのニンデと気づいたエルロヒアが後ろから声をかけました。「ねぇきみ、レゴラス王子を見なかった?」エルロヒアは親しげに、にっこりと笑みを浮かべて問いました。

「弓と矢筒を持って先ほど大門から出ていかれました。練習をしにいつもの空き地へ行かれたんだと思いますが」一呼吸置いてニンデはこう付け加えました。「…… だいぶご機嫌を損じてらっしゃるご様子でした」

「ああ」エルラダンが答えます。「じゃあどっちの方角に行ったか教えてくれない? ちょっと知らせることがあってね、それを聞いたらきっと王子のご機嫌も直ると思うんだ」

ニンデがこくりとうなずきました。ニンデは2人を連れて歩きだすと、そびえたつスランドュイル宮殿の門をひとつ、またひとつとくぐり抜けます。階段を降りるとニンデは石橋の上から、川を越えて森のなかへと続いていく小道を指で2人に指し示しました。ニンデは川の流れにかき消されないよう声をはりました。「この道を行って先で右に曲がってください。そのまましばらく行けば王子がいつも弓を練習する空き地に行き当たります」

エルロヒアが感謝の印にニンデの手をぎゅっと握りました。エルフ乙女ははにかんだようにほほ笑むと、2人に背を向け岩の宮殿に消えました。

前夜の雨で、空は矢車菊の青へとすっきり洗い流されています。エルラダンは空を見上げ、それからエルロヒアに向き直って言いました。「ああ、すごい空だ。もしあのまま西に向かって旅を続けていたら、百マイルくらい進んでないとこんな空は拝めなかっただろうな」

「そうだね」エルロヒアが続けます。「…… 森は大好きだけど、この森ときたら ……ね。ちょっとでも奥に分け入ったが最後、あっというまに悪夢に見舞われる、そんな空気に溢れてるね」

「でも、このスランドュイルの領とする地だけは、今もかつての美しさが残ってる」エルラダンが言います。「さあ行こう」

橋を越えて広い一本道を歩いていくとまもなく、木々はみっしりと覆いかぶさる天蓋のように、2人の頭上をアーチ状にかたどりました。こぼれ落ちる陽射しが金の斜となり、濃緑のそこかしこから地を刺しています。エルロヒアはおぼろげながらあたりの木々の囁きを感じとりました。広がる森のさらに彼方では、黒い想念を吐き出すもっと多くの樹木が鬱蒼と寄り集まっています。エルロヒアはその黒い想念にぶるりと身を震わせました。帰途はずいぶんと遠回りになったものです。とはいえどのルートをとったとしても、結局、たいして変わりはなかったのかもしれません。しかしエレド・ミスリンに巣食うあれ --- あの存在はやっかいなものでした。あの竜の精神にうっかりと触れかけたとき、あの竜の放つ液化した鉄のような感触に、エルロヒアは危うく精神を奪われかけたのです。ふと目を上げると、エルロヒアは兄がじっと自分を見つめているのに気づきました。兄はたったいま自分の心に走ったものを感じているようでした。エルラダンが弟の腰に腕を回して軽く引き寄せます。そうして2人はまた、歩き始めました。

半マイルほど進んでいくと、肌に落ちる日差しが少しきつくなりました。右へと分かれる小道を見つけさらに進むと、突然眼前に広々とした緑の空き地が拓け、急に差し込んだ強い陽光で2人は目をしばたたかせました。探していたエルフの姿は数百ヤードほど向こうにありました。

2人を背にして立つレゴラス、金貨のようにその髪が照り映えています。レゴラスは矢筒から矢を抜くと、弓をきりきりとひきしぼりました。よどみないその動きは、長い鍛錬と技量からしか生まれ得ないものであることが明らかでした。ひととき狙いを定めるとレゴラスは矢を放ちました。ひゅんと空を切り、どすっという音とともに矢は的の中心を射抜きました。何本もの矢が突き刺さった的の中心はすでにハリネズミの尻尾のようになっています。また一本、レゴラスが矢を射りました。恐ろしいほどの正確さでした。

エルロヒアは王子の技量に息を呑みました。ここにいるのは優れたひとりの戦士でした。竜の棲家を探すという今回の冒険では彼の存在が大きな助けになるのは間違いありません。王を説き伏せレゴラスを一緒に行かせることにしたのは正しい選択だった、そう思いながらエルロヒアは兄と一緒にそっと背後から王子に歩み寄りました。エルロヒアは兄ににやりとしてみせました。

「そこにいるのはわかってるよ」レゴラスは振り向きもせず言いました。「わざわざ会いに来てくれなくてもいいのに」

「明日発つことになったんだ」エルラダンが答えます。2人は王子の側に立ちました。王子はやっと振り向きましたが、2人を見る王子の眉間にはしわが寄っています。

「知ってるよ」レゴラスが言います。「宮殿中その話で持ちきりだ。火とかげを使った父さんの計画は功を奏したね。やっとナインを追っ払えるんだからさ。それに君たちもあのドワーフたちをつれてエレド・ミスリンに行くんだろ。そう聞いたよ」

「知らせが伝わるのは早いな」エルロヒアが言いました。

「そうだね」レゴラスが答えます。「もういいかな? じゃあね」レゴラスはもう一本矢を抜いて乱暴に放ちました。矢は的の鉄枠に当たって、ぽきりと半分に折れました。

エルロヒアが優しくレゴラスの肩に手を置くと、レゴラスはいらついた表情を浮かべて振り返りました。

エルロヒアが言いました。「不思議だなぁ。そこまで知ってるんならどうして君はこんな場所でのんびりと、罪もない矢を無駄にして時間をつぶしているのかな? もっと他にすることがあるだろ? 例えば ……」効果的に一呼吸おいてからエルロヒアが言いました。「旅の支度とか」

「えっ?」レゴラスの口がぽかんと開きました。双子の片割れ、そしてもう片方とを交互に見比べます。

「旅の支度をしないとね」エルラダンが繰り返します。「北への旅だ。服は暖かいのを用意したほうがいいよ。内側に毛皮の張ってある上着とか、いいんじゃないかな?」

ぱっとレゴラスの表情が輝きました。「僕も一緒に行けるの? って、父さんが許したの? まさか! 信じられないよ!」

「友よ、本当さ」エルロヒアが笑います。「ついにあのスランドュイルもそうしたほうがいいって認めたよ。--- まあ多少の説得は必要だったけどね」

レゴラスは弓を置くと、エルロヒアをぎゅっと抱きしめました。それからエルラダンも一緒に腕の中に引き寄せます。「ああ友よ!」レゴラスが感激の声をあげました。「疑ったりしてごめんよ。こんないい知らせを耳にするなんて、いつ以来だろう? ありがとう! どうやってこのお礼を返したらいいか、見当もつかないよ」

喜びに顔を輝かせるレゴラスを見てエルロヒアもにこにこしています。「お礼? そうだなぁ、君がそんなに言ってくれるんだったら ……」双子たちがくすくすと笑います。

レゴラスは後ろに一歩下がると楽しそうに目を細めてじっと2人を見ました。「そうだな、君たちだったらきっと ……」レゴラスが言います。

「うーん、一緒にいたときから、もう7時間は経ってるしねぇ」エルラダンが言います。

「またちょっとお腹がすいてきたかも」エルロヒアが唇をぺろりと舐めました。

「僕は昨夜のあれからまだ回復できてないよ!」レゴラスが言います。「もし旅先でもこんな風になるんだったら僕は ……」

「今回の旅ではあんな楽しいことはお預けさ」エルラダンが言いました。「それに今はそんな風に感謝してくれてても、野営の地で冷たい雨に襟を濡らしてみじめに地べたに座りこむこととなったら、君はきっと僕たちを呪うことうけあいだ」

「絶対そんなことないよ、約束する」レゴラスがうれしそうに言いました。しかしにわかにレゴラスの表情が曇りました。「もうひとつの問題はどうなったの? 父さんは僕たちの関係に気がついたんじゃなかった?」

レゴラスの青い宝石のような双眸を見つめながらエルロヒアが言いました。「ああ愛しい君、まあね。その点はちょっとごまかさざるを得なかったよ」

レゴラスは今度はエルラダンに視線を移しました。双子の兄がこくりと肯きます。「僕たちと君が逢ってたことについては、もう王にはその記憶はない。思い出させるようなことを言っちゃ駄目だよ、レゴラス。それと、きみの父君は、この探検に君を行かせることにしたのは自分の考えだ、ってそう思ってると思うんだ」

レゴラスが肯きました。「わかった。色々質問したりしないようにする」レゴラスがにっこりします。「君たち2人って危険だね。敵対する側には回りたくないな」

「ああ、じゃあ僕たちはどっち側にいればいいのかな?」エルロヒアが軽く腰を王子に当てながら尋ねました。

レゴラスは笑顔でした。「両側に居てくれたら僕はそれで満足」彼は言います。「充分すぎるくらいにね」

エルロヒアは王子に顔を寄せてその唇に口づけました。蕩けるように柔らかい王子の唇を味わいながら、エルロヒアは両手でしっかりレゴラスを抱きしめました。王子の耳に唇を移動させると舌を出して耳朶の曲線をなぞります。王子の体に震えが走るのを感じてエルロヒアの興奮が高まりました。ああなんて素敵な子なんだろう! レゴラスの首筋を反対側からエルラダンが舐めています。王子の呼吸が早まってくるのがわかりました。

「…… ねえ、ここからそれほど離れてないところに」レゴラスが低い声で言いました。「誰にも邪魔されない場所があるんだ」


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目が覚めるとスランドュイルは書斎のソファから半分身を起こしました。少しぼうっとしているけれども、とてもリラックスした気分です。スランドュイルは眉間に手をやって考えました。こんなところで寝入ってしまうなんて、いったいどうしたことだろう? 疲れているに違いない、そうスランドュイルは思いました。そう、タラガンと一緒にナインと双子たちが部屋を出て行って …… いや、双子たちが出て行ったのを見た記憶はない ……。でもたぶん一緒に出て行ったに違いない。

さっさと起きて、ナインとその一行の帰還を準備しに行かなければ。あのドワーフ王の姿がスランドュイルの頭に浮かんできます。やっとあのドワーフ王を追っ払えるのはこれ以上ないほど喜ばしいこと …… の筈でした。しかしいったいどんなヴァラの気まぐれなのか、スランドュイルはどうも、あのドワーフに対する自分の感情がなんだか以前とは違ってきているのを感じました。このドワーフにまつわる数々のいらだたしいでき事に、いつのまにか耐性ができてしまったのでしょうか?

王は下半身が疼くのを感じました。まるで夜通し淫猥な夢を見ていたかのように、満たされない激しい感覚が涌きあがります。スランドュイルはレギンス越しに自身が質量を増すのを感じました。

スランドュイルは思いました。ずっとしてなかった、だからこんなことになるんだろう。スランドュイルの心はずいぶん長いあいだ他のさまざまなことに支配されていて、艶めいたことにはほとんど時間を割く余裕もなしに過ごしてきていたのです。エルロンドの息子たち、あの双子の姿が脳裏をよぎると、スランドュイルの男根がぴくりと震えました。双子の片割れ、そうそれも弟の方、あの細腰を押さえつけて深く己を突き入れる場面をふと想像し、スランドュイルはぶるりと身を震わせました。きっとあの2人のことを夢でみていたんだろう、--- でもそれにしても、この感覚は何ともリアルすぎるように思えました。あの2人の体に自身を突き入れてやりたい、その思いが頭から離れませんでした。そう、それが当然の報いなのです。しかしその報いとは? --- 何だったのだろう? スランドュイルはあの2人の仕出かした何かに対してひどくいらついていた筈でした。しかしどんなに頑張って思い出そうとしても、その記憶は木に隠れる栗鼠のようにするりと逃げ出して、決して掴むことができないのでした。

かわりにスランドュイルの心を満たしたのは、2人のあの美しさ、そして感嘆すべき戦いの技量でした。スランドュイルは昨夜の競技のとき、エルラダンがあの力強い両腕で剣を振り下ろすのをみて胸が躍ったことを思い出しました。数日前2人が宮殿にやってきたときには、エルロヒアの上着の襟元を自ら開き、あの逞しくもほっそりとした上半身を目の前で露わにしたことを思い出しました。スランドュイルの昂ぶりがますます質量を増していきます。

スランドュイルは唇を舐め、身を起こしソファに座りました。大きさを増した彼のペニスはなんとも具合の悪い角度です。位置を直そうと伸ばされたスランドュイルの手は脚の間でさまよいました。部屋に戻ってこの不都合な状態を何とかすべきかもしれない …… このままでは他の重要な用件にとりかかれそうにありません。

スランドュイルは立ち上がりかけました。いや、もうひとつ何かあった筈 …… そう、レゴラス。今回の探検に彼は息子を送ると決めたのです。いつ思いついてそう決めたのだったか、スランドュイルは自分でもよくわかりませんでした。けれどもそれが正しい判断に違いありません。あのエルフっ子が広い世界で経験を積み始めるにはいい時期です。疑いようもなく、闇はもうすぐそこまで迫っています。彼の子、レゴラスはそのときに備えて充分に準備ができていないとなりませんでした。スランドュイルはこの自分の下の息子が充分に鍛錬を積み、研ぎ澄まされた刃のように技を磨いてきたことはよく知っていました。昨夜の戦いがその鍛錬の結果を証明しています。あの、武技の教師としては最高級の人材を国外に出さねばならなくなったのはやはり痛手でした。あのタロときたら、身分を忘れた振る舞いをしおって! スランドュイルは腹立たしく思いました。

しかしこの場所でレゴラスを永遠に守ってやれるという訳でもありませんでした。レゴラスはいらつきはじめていました。この年若いエルフっ子が勇気にあふれしっかりした気質で、闇の森にずっと閉じ込められたままでは満足しない性格であることに、スランドュイルはふと親としての誇りを感じました。しかし、一抹の疑念がスランドュイルの頭の隅をちらついて離れません。自分はどうしてこの決断に至ったのだろうか? なんにせよ、スランドュイルはもう腹をくくることに決めました。

スランドュイルの思考がタラガンのことに飛びました。準備を進めるのに侍従長を呼ばねばなりません。それから下の息子を呼んでこの決断を伝えなくては。

股間の疼きががまんできないほど高まって、スランドュイルはソファの上でのたうちまわりたい気分でした。ああマンドスの呪いよ! どうして自分の体はこうも意思を裏切るのでしょうか? これはもう、なんとかしてしまわないとだめでした。

一時間後、スランドュイルは熱い湯につかりながら歯ぎしりしていました。腕はもう棒のよう、股間の疼く感覚はもう痛みに近いものになっています。なのにスランドュイルはいまだにこの悲惨な状況から自身を解放させられないでいたのです。おまけに、スランドュイルが手を動かすたびにあの、ナインの顔がちらつくのです。まったく不愉快きわまりない! そう思いつつも、瞼の裏のその姿はスランドュイルがこれまで感じたことのない、不思議な魅惑をもって王に迫ってくるのでした。

自分は頭がおかしくなってしまったのだろうか ---、でなければこれは悪い夢に違いない! 王が水面に拳を叩きつけると、飛び散った水しぶきがばしゃりと床に跳ねました。

優しく扉をノックする音が聞こえました。きっとタラガンです。「ちょっと待て」そう告げるとスランドュイルは浴槽を出て、ローブを羽織りました。王の裸身を侍従長が見たことがない、というわけではなかったのですが、そのときはこんな状態ではありませんでした。

侍従長が昼食の盆を持った若いエルフと一緒に入ってきます。その盆が卓上に置かれると、タラガンはエルフを退出させ、落ちつかなげに行ったり来たりしている王の側へと歩み寄りました。

スランドュイルが掌をひらひらさせタラガンに言いました。「腹は減っておらん」低く唸るように王が告げます。

「陛下、昨夜から何も召し上がっておられないのでは?」タラガンがあごに手をやりました。「それになにか …… 気が立ってらっしゃるご様子です。何かおありだったのですか?」

「違う!」スランドュイルが怒鳴ります。それから声を落ち着けると言いました。「--- 違う、そうではない」彼は侍従長のほっそりとした姿を見やりました。今まで考えたこともないことですが、タラガンはなかなか魅力的な目をしています。スランドュイルはこめかみに手をやりました。どうも自分を見失ってしまっているようです。スランドュイルはいつもの自制心がどこかに飛んでいってしまって、感情が抑えられなくなっているのを感じました。

「出立の準備は進んでいるか? ナインたち、それに」王が問いました。「こちらからだしてやる戦士たちの分もある」

「すべて順調でございます、陛下」タラガンが答えます。「明日の出発に間に合うよう、皆、いま倉庫で旅装を整えているところです。問題ありません」タラガンが笑顔になりました。「出立が決まってさぞお喜びのことかと思います」

「ああ」王の答えは心ここにあらずという調子でした。「やつらが出発する前にもう一度ナインのやつに会わんとな」

「それはもう、あのナインが王への別れの挨拶なしに発つはずもございません」タラガンがうれしそうに言いました。

「それもそうだな」昼食の盆を眺めたスランドュイルは、そこからワインの壜を取ってグラスに注ぎました。スランドュイルがタラガンに向き直りました。

「一杯付き合え」スランドュイルがグラスを捧げ持ち、タラガンを誘います。

「殿?」

「目前に迫ったこの出立を祝って」

「ああ、さようですか、では」どこか腑に落ちない様子ながらタラガンが一歩前に進み出ました。

「昨夜のことではまだお前に礼を言ってなかったな。あれはさぞ不快な仕事だったろう」スランドュイルはそう言って侍従長にグラスを手渡すと、触れ合った手が一瞬ひたと止まりました。タラガンがはっと息を呑みました。

「たしかに不快な仕事ではありましたが陛下、礼などとんでもございません。私はいつでもできる限り王のお役に立てれば、それでよいのでございます」

「うむ、そうか」スランドュイルがもうひとつグラスにワインを注ぐと、そのグラスを捧げました。「チュイル!(人生に)」スランドュイルは乾杯の合図をするとぐいと飲み干しました。

「チュイル!」タラガンも乾杯を返すとグラスの中身を一気に半分以上空けてしまいました。

スランドュイルがタラガンの腕に手をおきました。「タラガン、私に仕えるようになってから、どれくらいだ?」

「過ぎた年月はもう数えられないほど …… ですが、ええ千年は超えました」

「もうそんなになるか。こうやってゆっくり差し向かいで語り合うのも、たまには悪くないな」

「何か気に病むことでもおありなのですか?」タラガンはそうたずねると、自分の腕をきつく握りしめる王の手に目を落としました。

「…… いや。何もない。ただふとそう思ったのだ。それだけだ」王はタラガンから手を離しました。そうしてまた部屋を行ったり来たりし始めます。

スランドュイルは下半身に熱が昂ぶるのを感じました。急にこの侍従長を滅茶苦茶にしてやりたい、そんな欲望に駆られます。タラガンの前でひたと歩みを止めると、スランドュイルは体を傾け、タラガンの額へと口づけました。目の前のエルフが言葉もなく仰天しているのをみて、王は笑いそうになってしまいました。

タラガンが赤面して後ろに一歩下がりました。「感謝の印を頂き、ありがとうございます、陛下。ではわたくしはそろそろ、ナインの出立の手伝いにいかないと」タラガンが王に背を向けて退出しようとしました。

「タラガン」王が呼び止めます。

「何でございましょうか?」目を丸くしたタラガンが振り返ります。

スランドュイルは一瞬、この侍従長を卓に組み伏せ、そのほっそりとした体を後ろから貫いて官能と痛みの声を上げさせたいという衝動と戦いました。やっとのことで自らを律すると、スランドュイルは、はぁとため息をつきました。だめだ、良くない、スランドュイルはそう思いました。自分に忠誠を誓った信頼置ける友に、そんなことはできませんでした。スランドュイルはまたその場を行ったり来たりし始めました。

「…… 陛下?」タラガンが問いました。

「なんでもない、気にするな。準備の様子は私も見に行くぞ」

「大変結構でございます」タラガンが首をかしげました。「…… 他に御用は?」

「レゴラスを呼べ。あいつに話がある」

「宮殿内にはおられないようですが ---」タラガンが言いました。「弓の練習に野へ出ておられるのでしょう。誰か呼びにやりましょうか?」

「いやいい。後で構わん。もし数時間してまだ戻ってこないようなら誰か呼びに行かせろ」

タラガンはこくりと肯きました。それから戸惑ったような目でじっと王を見つめたのち、我に返った様子であわてて部屋から出て行きました。


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苔と柔土の、豊かな大地の香りを胸いっぱいに吸いながら、レゴラスは滑らかな木の幹にもたれて頭をのけぞらせました。立ち枯れたぶなの木の空洞に入り込んだ3人は壁のような木の内壁に囲まれ、頭上高く見上げれば切り取られた青い空がぽっかりと、穴のように開いています。その丸い穴から斜めに落ちる日差しが、この閉ざされた秘密の空間のそこかしこを照らしています。ここはレゴラスの大好きな場所でした。官能に浸るため、未来の色んな可能性を夢見るために、レゴラスはよくこの閉ざされた場所にきていたのです。それでもここに来るのは久しぶりでした。その昔、レゴラスがぼんやりと夢見ていたことは今、現実となっていました。

低い喘ぎ声を洩らしながら、レゴラスは手をひざの裏で押さえ、脚を広げて、腰を上下に揺らめかせました。レゴラスが目を落とすと、脚のあいだで輝く豊かな黒髪の頭が彼の昂ぶりを咥え、上下に動きながら濡れた舌で巧みに口淫を施しています。その輝く黒髪の頭は舌を巻きつけるようにして角度を変えると、敏感な先端をちろりと舐めてから、またその咥内へと深くレゴラスの昂ぶりを飲み込んでいきました。その口は優しく吸いつきながら、ゆっくりとペースを速めてレゴラスを高みに昇らせていきます。

「ああ神よ!」低く呻いて瞼を閉じたレゴラスは、両足の間の脈打つ快感に身をまかせました。

「兄弟、王子は君に口でされるのが好きみたいだ」絹のようなテノールがレゴラスの耳元で囁き、その淫らな響きがレゴラスを体の芯から震えさせました。剣で鍛えられた堅い指先がレゴラスの胸元、乳首へと伸び、柔らかい突起を弄んではひねりあげます。片側の乳首に生温かい舌が触れたかと思うとすぐに唇がかぶさり、その突起を優しく吸いあげました。胸元を襲った突然の愉悦が下半身にもたらされるあの唇の刺激と合わさって、王子をさらに高みに追い上げました。

レゴラスは今回は心の融合を抜きにしてほしいと2人に頼んでいました。エルロヒアの眉が問うように上がるとレゴラスはこう言いました。「一度だけでいいんだ。君たちが僕を求めるのは僕が僕自身だからってこと、ぼくが君たち2人の溝を埋める道具じゃないってことを知りたいんだ」

「お望みのままに、愛しい君」エルロヒアは王子の下半身に直接響くような声のトーンで答えました。エルラダンが笑顔を浮かべて、落ち葉に埋まった地面へとレゴラスの体をいざないます。

胸元を離れた唇は今度は王子の唇へと重ねられてきました。柔らかく押し付けられた唇は何度もさざなみのように愛しげに口づけています。レゴラスの頬は双子の掌で包まれています。こんなにも求められている、そう感じられるのは素晴らしいことでした。

レゴラスは手を伸ばし、目の前の滑らかな肌に指先を落としました。レゴラスの指が探るように臍の窪みを通り、その下の黒い絹のような茂みに辿りつくとその毛を優しく掴んで軽く引っ張ります。手首が堅い肉棒にあたり、レゴラスは押すようにして手の付け根でその棹を弄びました。合わせた唇を離さずに目の前の双子が呻き声を上げます。王子は掌で棹を包むとゆっくりなぶりつづけました。

双子の口づけはより激しさを増してきます。差し込まれた舌は探るようにレゴラスの咥内を犯し、昂ぶりを咥えている頭と速さを揃えて何度も舌の出し入れを繰り返します。レゴラスからまたんんっと悶えるようなうめき声が漏れました。レゴラスがしっとりとした苔の上で体をよじらせていると、手が回され、臀部が軽く引き上げられました。レゴラスの棹を包む燃えるような唇が、レゴラスを容赦なく絶頂に向け追い上げはじめました。

濡れた指がレゴラスの窪みを探ると根元までつぷりと差し込まれます。その指は中で曲げられると奥深くにあるあの敏感な場所を何度も何度も掠めました。

レゴラスは登りつめるその瞬間を全身で感じました。蕩けるような恍惚に一瞬、時が止まるかのようです。それからすべてが弾け、熱い咥内にどくどくと自身の白濁を迸らせると、レゴラスの瞼の裏を光の雨のように蛍の群れが舞い降りました。重ねられた唇は上のほうでも下のほうでもその口づけを弱めようとはせず、レゴラスはのたうちながらあられもない声を上げていました。

快感にたゆたいながら、王子はそのまましばらく恍惚に身を預けました。やがてレゴラスは双子たちが柔らかな愛情と未だ満たされない欲望で彼を包みこむのを感じました。

レゴラスが目を開けると、エルロヒアがあの抜け目のない、狼のような灰色の双眸を楽しげに輝かせてレゴラスを見つめています。引き締まった顎と鼻、整った頬骨にしなやかなその唇。レゴラスはもしこの顔を永遠に見続けることになったとしても、目を喜ばせるこの美しい輪郭を見飽きることはないだろうと思いました。なんて美しいんだろう。双子のあごのラインにそって指をなぞらせると、ペレジルが首をかしげてにっこりします。差し込んだ光が左耳のダイヤモンドに反射して、燃えるようにきらめき光りました。

エルロヒアが身を起こすと、レゴラスの脚のあいだからエルラダンが、唇を舐めながら頭を上げました。「美味しいよ、我が美しの君」エルラダンが言います。「一日中でもこうしてたいな」

「今飲んだ、それがきみの昼食かい?」エルロヒアが笑ってレゴラスの顔から乱れ髪を払います。「愛しい君、ご機嫌は直ったかな?」

レゴラスがこくりと肯きました。

「じゃあ今度はこっちの面倒をみてもらおうかな?」エルロヒアがレゴラスの手を取って、自分の昂ぶりを触らせると上下にその手を動かしました。

王子が笑います。「わかったよ、今度はどうするの?」

「うつ伏せになって。君のその、可愛いお尻が欲しいんだ」

「また?」レゴラスが呻きました。

「そう、もう一回」

「日が暮れるまで僕の身は持つのかな? もう殺されちゃうよ」レゴラスがため息をつきます。

エルラダンが声を上げて笑います。「だったらそれは栄誉の死だ! …… さあ早く」


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レゴラスがやっと書斎に現れたのはもう、午後も遅い時間でした。手元の読みかけの巻物から視線をあげたスランドュイルは、今まで見たこともないくらい自分の下の息子がリラックスして幸せそうなのを目に留め、一瞬いぶかしい思いにかられました。スランドュイルはといえば、息子とは反対に、ありえないほどの欲求不満が身体にくすぶっているのでした。

「父さん、呼んだ?」レゴラスがたずねます。

「息子よ、ずいぶんゆっくりしてきたな」スランドュイルが唸ります。

レゴラスは気軽な調子でそばの書卓によりかかりました。「ごめんなさい。弓の練習に出てたから---、呼ばれてたのに気づかなかったんだ」

スランドュイルが疑わしげに目を細めると、レゴラスはまっすぐに姿勢を正して真面目な表情をつくりました。

「北への探検にお前も一緒に行かせることに決めた。いい経験になるだろう」スランドュイルはぴしゃりとした調子で息子に告げました。

スランドュイルはレゴラスの次の反応を予想していませんでした。王子はぱっと満面の笑顔を浮かべると、息も止まるような勢いで抱きついてきたのです。「父さん、ありがとう!」レゴラスが叫びました。「すっごく嬉しいよ! もう言葉じゃ表せないくらい!」

王の胸に愛情が湧き上がり、目の端が熱くなりました。スランドュイルもゆっくりと息子の背に手を回し、抱擁を返してやります。いったい何ごとなのか、こんなに涙もろく感じたのはもう久しくないことでした。スランドュイルはレゴラスの上腕に手を置いたまま、体を離しました。

「--- わたしがこのことを簡単に決断したと思うなよ」王が言います。「しっかりやるのだぞ。私がお前を誇れるようにな」

「約束する、父さん。心配はいらないよ。もう行くね、支度しなくっちゃ」

そしてレゴラスは王の退出の許しも得ずに、かちゃりと扉を閉め去っていきました。

スランドュイルが深くため息をつきました。よし、これでひとつ、片付けた。レゴラスが自分の領土の外で翼を広げ、経験を積んでいく機会を自分はこれまで待ちすぎていたのかもしれない。この下の王子がこんなにも自由を欲していたなんて、スランドュイルは今まで気づいていませんでした。

さあ、あとはナインとの晩餐を済ませれば、それで今夜の仕事は終わりでした。今晩を最後にもう一回だけ、そうすれば夜毎のあの、ドワーフどもの歌とげっぷから解放されるのです。けれどもスランドュイルがどうしてもまだ何かもうひとつ、ナインから得なくてはならないものがありました。しかしどうしたことか、スランドュイルがどれだけ頭を絞って考えてみても、それが具体的に何なのかスランドュイルにはわからないのです。ふと、ドワーフ王のあの、ぶ厚い唇が王の心をよぎりました。スランドュイルは不快に思いながらもどういう訳か、自分があの唇に惹かれていることに気がつきました。スランドュイルの手元の巻物が、勢いよく宙を飛び、壁に叩きつけられてばさりと床に落ちました。






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