第 10 章  露 見




エルラダンの胸にあせりがこみあげてきました。このままじっと静かにしていれば、王も諦めて去らないだろうか、でも --- エルラダンはすぐに思いなおしました --- そんなことしたってもう、ここに自分たちがいるのをスランドュイルは感じとったに違いありません。自分の息子がここにいるのも王は感じとっているかもしれない --- エルラダンはスランドュイルの感覚がどれほど鋭敏なものなのかまだよくわかりませんでした。それよりも。もう当たって砕けるしかありません。

「…… ああ、スランドュイル王」眠そうな声を装って、部屋の外に呼びかけます。「すっかり寝ておりました。今、服を着ますので、しばしお待ちいただけますか?」

「よろしい。急げ」分厚いオーク材の扉の向こうからでも、スランドュイルのいらいらしている調子が伝わります。

エルラダンは急いでレゴラスの腕を引っ張り、部屋の隅にあった大きな衣装棚の中へと王子を押しこめました。レゴラスのレギンスとチュニックを中に投げ入れるとすばやく棚の戸を閉じ、床に落ちている残りの服は寝台の下に蹴りこみます。

エルロヒアがトランクから長衣を取り出し、投げてよこしました。裸身の2人は大急ぎで長衣をまとうと、はだけないよう腰のところを紐でしっかりと結びました。

エルロヒアが姿勢を整えて寝台に座ります。エルラダンが扉を開けました。

スランドュイルがタラガンを従えて、ずかずかと部屋に入ってきます。王はあたりを見回し、くんくんと鼻を鳴らしました。エルラダンはふと見ると、恐ろしいことに気がつきました。寝台の下からレゴラスのブーツがつま先だけ顔を覗かせています。エルラダンは必死に目で弟に合図を送ると、兄の視線に気がついたエルロヒアがこくりとうなずきました。

エルラダンはスランドュイルの目の前に前に立ち、にっこり笑顔で話しかけました。「王よ、お待たせして申し訳ありません。今日の試合の疲れでそれはもう、ぐっすりと眠っていたもので、部屋にお迎えする準備が整っていませんでした。なにか、お飲み物はいかがですか?」エルラダンが卓と椅子のほうを手で差し示しました。スランドュイルの目線がそちらに動いたのを見計らって、エルロヒアも寝台から立ち上がり、足を伸ばすとそっと踵ではみ出したブーツを寝台の下に押し込みました。

「ゆっくりしている暇はない」スランドュイルが答えました。「そなたらをナイン一行との会議に召集する。すぐに来い」もう一度あたりを見回したスランドュイルの眉間に、ぴくりとしわが寄りました。エルラダンが王の視線の先を見ると、そこにはミルヴォールの壜、3つのグラス、そして蓋のないオイルの壜が寝台わきの床に鎮座しています。

「今すぐに?」エルロヒアが問いました。「夜が明けるまであとほんの数刻ですが、それでは遅いのですか?」

スランドュイルは首を傾け、真一文字に唇を結びました。侍従長に向き直ります。「タラガン、ちょっと席を外せ。すぐ行く」

「かしこまりました、陛下」やつれた表情のタラガンは、一礼すると後ろの扉から部屋を出ていきました。

スランドュイルがエルラダンに歩み寄りました。「…… お前たち2人は、いつもこうして寝台をひとつに合わせて寝ているのか?」スランドュイルが問いました。

「野に出たときはいつもそうしていますので。ただの習慣ですよ」エルラダンが肩をすくめて答えます。

「…… それと、あのオイル」

「弟が夜になって肩が痛むと言いましたので、試合で張った筋肉をやわらげるために使ったのです」エルラダンはそつなく答えました。「あぁ、それとあのミルヴォール、あれも薬効があるのですよ」

スランドュイルは部屋をうろうろと歩き回り、あれこれ手に取ってはじっと眺めています。それから突然、スランドュイルは2人のほうに向き直りました。「有名だな、裂け谷の双子といえば、仲が良くて、いつでも一緒」スランドュイルはあざけるように言いました。「そなたらの堕落した行ないを、父君は気づいておらんのか?」

「何ですって?」双子たちは呆然とスランドュイルを見つめました。

「気づかないとでも思ったか」スランドュイルは続けます。「この部屋にはセックスの匂いがする。お前たち同士でなければ、…… いったい誰としてたのだろうな?」部屋を見回すスランドュイルの視線は衣装棚のところで止まりました。

双子たちは言葉を失って互いに顔を見合わせました。

「陛下 ……」エルラダンが口を開きました。

スランドュイルは一歩前に出ました。「今さら違うなどと言ってみても無駄だ」スランドュイルがエルラダンに歩み寄り、深く息を吸い込みます。「お前からは弟の匂いがする。恥知らずな。自然の摂理に反したこの欲情は、いつかそなたらを焼き尽くすぞ」

スランドュイルの手がペレジルの肩から長衣を払い落とし、逞しい片胸をあらわにします。王は飢えた目でエルラダンを見ると、黒髪に手を差し入れ、首筋をとらえてぐいとペレジルの体を引き寄せました。

「そなたらが教訓を学ぶには」王が厳しい口調で言いました。スランドュイルの唇はエルラダンの唇とほぼ触れ合わんばかりの距離にありました。「その体に教え込んでやる必要があるようだな」

エルロヒアがさっと王の背後に回りこみました。「そんなこと、あなたの両の手にだって余る仕事ですよ」エルロヒアが脅します。

「ほう、そう思うかね?」スランドュイルは目にも留まらぬ早さで振り向くと、次の瞬間、エルロヒアの長衣の合わせ目から手を入れ、玉袋をぐっとつかみこんでしまいました。反対側に立っているエルラダンも同時に同じ場所を握りこまれ、双子たちが痛みに声を上げました。エルラダンがスランドュイルの首を押さえようとすると、スランドュイルはエルラダンが自分を離すまで、急所を握った手をきつく締めあげました。

「協力が必要なのが今でなかったら、すぐにでもやってしまうところだ。まったく、そそりおって」スランドュイルの舌がエルラダンの喉元を舐め上げます。スランドュイルが手を離すと、双子たちはあっと声を挙げて体を2つに折りました。「思った通りだな」王が言葉を続けます。「お前たちペレジルは自然の摂理に反した存在だ。美しい、だが内に人間の弱さを持っている」

スランドュイルは扉のほうに向かいました。ふと歩みを止めもういちど鼻をひくつかせると、スランドュイルの燃えるような蒼い瞳がさらに細くなりました。「いまここで、私がこれ以上追求して皆が後悔するような事態を引き起こさんのはありがたいと思え! 服を着て書斎に来い、闇の森のドワーフ問題の解決に手を貸せ。わが領地からさっさと立ち去りさえすれば、その後お前らがどうしようと知ったことではないのだ。言うとおりにするならば、この事はそなたらの父には告げずにいてやってもよいのだぞ!」スランドュイルは部屋を出ると、ばたんと音を立てて扉を閉めました。

双子たちは打ちのめされたような気持ちで寝台に腰を下ろしました。エルロヒアがエルラダンの肩に頭をもたせかけます。

「あぁ、神よ。兄弟」彼が言います。「これからどうする?」

「あわてちゃいけない」エルラダンが言いました。

「あわてるなって? どうやって?」エルロヒアが叫びました。「ずっと隠し続けてきた僕たちの秘密がばれたんだぞ! 僕たちは惨めな姿で追放されるんだ。海の向こうのヴァラだって、きっと僕たちのことは受け入れない。僕たちは死にゆく者となって、死と忘却が僕たちを待ってるんだ!」エルロヒアは打ちひしがれたように、床に崩れ落ちました。「永遠に君と離れ離れになるなんて …… 僕には耐えられない」

「落ち着けよ、エルロ! 一緒にどうするか考えよう。これまでだって、そうやって何とかやってきたんだ」エルラダンがそう言うと、彼の片割れは拳を眉間に当て、やっとうなずきました。

衣装棚の扉がきぃと音を立てて開きました。レゴラスがそっとささやきます。「もういい?」

「ああ」

レゴラスが大きな目を見開いてやってきます。彼はまだ半分しか服を着けていませんでした。「父さんの声が聞こえた。棚のすぐそばまできてたでしょ、感じたよ」レゴラスが言います。「僕があそこにいたのも父さんは感じたはずだ。…… なんで僕をひきずりださなかったんだろう? 絶対、僕たちみんなをひどい目にあわせると思ったのに」

「ああそれはね」エルラダンが答えます。「君の父さんは今、僕らの手助けを必要としてるんだ。でもいまここで君を見つけたら、彼は王として僕たちをまた追放しなくちゃならなくなる、でもそしたらスランドュイルは僕たちを利用できない」

「…… きっと後ですごく怒られるんだろうな」レゴラスが言います。「もううんざりだ。君たちと一緒に行きたい。今すぐここを出ていこうよ!」

「愛しいレゴラス」エルロヒアが優しく言いました。エルロヒアは立ち上がって、金のエルフを抱き寄せ、頬に口づけます。「もし僕たちとここから逃げたらどうなる? すぐ父君に兵を送られて連れ戻されるだけだって、きみが自分で言ってただろう?」

「つまり、あれだけ色々話を聞かせておいて、結局僕は置いてきぼりなのかい?!」レゴラスが断言するような調子で言いました。「やっぱりね、そうなんだろ? 君たちの欲望を満たすために2人で僕を利用したんだ!」

「しっ! そんな言い方、まるできみの父さんみたいだぞ」エルラダンが言いました。「ちょっと考えさせてくれ」

猫のような敏捷さでレゴラスがエルラダンに飛び掛りました。そのままエルラダンを床に引き倒し、握った拳を振り上げて殴りかかろうとします。飛び込んだエルロヒアがレゴラスの腕を押さえ、王子を兄から引きはがすと、双子は2人がかりで王子を押さえこみました。レゴラスは2人に抵抗して暴れました。

「なんでそんなこと言うんだ!」レゴラスの声は怒りに震えていました。

「レゴラス! こんなことしたってどうにもならない」エルロヒアが言います。

「君たちにとってはどうでもいいことだったんだ! そうだろ?」レゴラスの顔は怒りで真っ赤でした。「僕は単なる玩具、ただ征服したかった、それだけだったんだ!」

エルロヒアが体をかがめて王子の額に両手を当てました。「僕の思考を読んで、愛しい君、そうすれば、そんなの間違いだってわかる」

しばらくじたばたした後、レゴラスは静かになりました。エルロヒアとエルラダン、2人のレゴラスに対する愛情と心配、そして恐れがレゴラスの意識に流れ込みます。エルロヒアの唇がそっと王子の唇に重なったかと思うと、エルロヒアは深く激しく王子に口づけました。

ペレジルの囁く不思議な言葉が聞こえ、レゴラスは自分が深い穴に落ちていくような感覚に陥りました。深い湖にゆっくりと潜るようでいて、それでいてあたりには黄色い花と葉っぱが舞い落ちるようにも見えるのです。夢を見ているような心地でレゴラスがつぶやきました。「僕に何をしようとしているの?」レゴラスは最後まで言葉を紡ぐことができませんでした。まるで遠いところにいるように双子たちの話し声が聞こえてきます。いったい何を話してるんだろう?

エルロ、彼の記憶を封じなくちゃ。

ラダン、だめだ、封じちゃいけない。僕たちとの体験は残してあげて。君が呪文をかけたから、もうこのことは誰にも言えないよ。

兄弟、危険だ。

ラダン、レゴラスになら僕たちは命だって預けられる。お願いだよ、この子には覚えていて欲しいんだ。僕たちとの関係を育て深めて、単なる夢以上のものとして残しておきたいんだ。

…… 愛しい君、僕は反対だよ、でも君がそこまで言うなら、…… ね。レゴラス、これから君は自分の部屋に行く。誰にも見られちゃいけない。布団に潜りこんで、朝になったらすっきり目覚めるんだ。君は僕たちとの夜を覚えてる。でもそのことは誰にも言わない。いいね?

レゴラスはふと意識が戻りました。気がつくと自分は床に横たわって、双子たちがじっと自分の瞳を覗き込んでいます。「…… 今のは、あれはなに?」レゴラスが2人に問いました。

「愛しい君」エルロヒアが言いました。「僕たちがこれをするときは、いつも相手のエルフの記憶を封じてるんだ。…… 残念だけど、僕たちにとってはそうすることが必要なんだ。君にもそうしようと思ってたけど、気が変わった。君にはそうしないって決めたんだ」

「つまりね、僕たちはきみに一番大切な秘密を預けるんだ」エルラダンが言いました。

「じゃあ僕はそれに感謝しますって言えばいいのかい?」レゴラスが不機嫌そうに問いました。「どうして僕に聞かないでそんなことできるの? 君たちも父さんと一緒だね。僕を子どもだと思ってるんだ!」

「ごめんよ、レゴラス、僕たちを許して」そう言うとエルロヒアはまたレゴラスに口づけようとします。

王子はエルロヒアを押しのけると、ふらりと立ち上がりました。「それに、父さんにばれたんでしょう? 君たち、これからどうするつもりなの?」

双子たちは黙ってレゴラスを見上げます。

「そうか」レゴラスが言います。「父さんが何を考えてるのかなんて、君たち自身がこれから突き止めるしかないんだよね。あんまりひどいことにならなきゃいいね。…… じゃあね。またそのうち。もしかしてもう会えることもないかもしれないけど」

先ほどのスランドュイルとそっくりな動作で乱暴に扉を閉めると、レゴラスは振り返ることもなく部屋を出ていきました。怒りに駆られながら宮殿の階段を下っていくと、まるで深い眠りから覚めたばかりのように頭がぼんやりとしています。それでも今夜の出来事はまだレゴラスの体の裡にじんじんと脈打っていて、エルロヒアとの最後のキスは唇にまだ熱く感じられました。レゴラスは自分のなかの何かが今までとは違ってしまったように思いました。快感を得るときには何かを諦めなくてはいけないのかもしれない、レゴラスはそう思いました。


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エルロヒアはレゴラスの後を追いかけようとしました。そんなエルロヒアをエルラダンは腕を押さえ制止します。

「行かせてやれよ」エルラダンが言います。「誤解を解くのはまた別のときだ。それより今直面している問題のほうを何とかしないと」

「これからどうする?」エルロヒアが聞きます。

「心配することないさ、兄弟」エルラダンが答えます。「何とかして切り抜けるしかない。これまでだっていつもそうしてきたんだ」

「あぁ、愛しい君」エルロヒアがそっとたずねました。「スランドュイルの言うことは正しいのかな? …… 僕たちは不自然で、恥知らずな存在なのかな?」

エルラダンは弟の両手をとり、まず片手、それからもう片方の手に優しく口づけました。「あんな言葉、僕は信じない。ひとつになってるときだって、あれが悪いことだなんて僕には感じられない。感じられるのは、純粋で善き愛、誰にも経験できないような高次の愛、それだけだ。どうしてそれが間違ってるんだ?」

双子の弟が首を振りました。「それだけじゃないって、分かってるだろ? あの罪の意識、暗闇と哀しみの感覚。あの感覚を恐れたからこそ、何年も前に僕たちはもう愛し合わないって決めたんだ。しないほうがいいって頭ではわかってるのに、結局またやり始めた、その結果がこうさ」

「結果だって?」エルラダンは目を細めて剣呑に笑いました。「自分を王と呼ぶあの森エルフはこれで僕らを思い通りに動かせるって考えてるだろうけど、僕たち『自然に反する』ペレジルは、スランドュイルの与り知らない、特別な才能を持ってるんだ。スランドュイルがいうところのペレジルの弱点は、実は僕たちの強みでもある。って、これはあの古ワーグがそのことを身をもって知るにはいい機会だ。教訓を得るべきなのはあのスランドュイル、…… エルロヒア、そう思わないか?」

エルロヒアの口の端がわずかに上がりました。「兄弟、…… 考えが読めたよ。服を着てあの独裁者に会いに行くこととするか」エルロヒアの顔に笑みが広がりました。「彼もやっぱり美しいからね。ああ、彼の息子と同じくらい素敵だよ」

「まったくそのとおり」エルラダンが笑います。「まったく僕たちは以心伝心だな」


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双子たちは体を清めて服を身に付け、スランドュイルの書斎に向かいました。入り口を入った2人の目に入ってきたのは、ナインと顧問団、そしてスランドュイルが向かい合って座っている姿でした。低めのテーブルの上に幾枚も地図が広げられています。後ろのほうではタラガンが神経質そうにうろうろしていました。

「やっとお出ましか」スランドュイルがうなります。「ずいぶんとゆっくりなことだ」

ナイン王、グルンディン、ノリンが立ち上がって礼をします。双子たちも礼を返しました。

「良い朝を。エルロンドのご子息たちよ」ナインが言いました。「昨夜はお二人の剣の腕をお褒めする機会を逸してしまいました。さすが見事な腕前でしたぞ」

双子たちは軽く会釈して、スランドュイルの向かいの空いた椅子に優雅に腰を下ろしました。

「さて、すべてを明かすときがやってきたようですな」ナインが席から立って歩みを進めると、スランドュイルの前で立ち止まりました。エルフ王の隣の椅子にどさりと腰掛けると、ナインの眼はきらりと光を帯びて輝きました。「お心を試すようなことをして誠に申し訳なかった、我が王よ。しかし時代は刻一刻と闇を増しています。私は確実に貴殿のお心を知る必要があった、御心が暗黒の勢力に堕ちないという確証がね」

「それならそうと聞けばよいものを」スランドュイルが不機嫌そうに呻きました。「エルフがこのように重要な問題で偽りを申すことなどありえんのだ」

「そのことは、いやはや今となってはまったく疑いようもない」ナインが言いました。「しかし、たとえ一瞬であれ貴殿が誘惑に屈する様子をみせたなら、わたくしは決してそれを見逃さなかっただろうし、となればやはり私はエルフとは信用すべからざるもの、という結論に達したことでしょう。たとえ過去の裏切りはサウロンの仕業によるものと分かってはいてもです」

「その点については異論はないな」スランドュイルは笑みを浮かべています。「私自身、誰かの心を試すとしたら同じようなことを考え付いたかもしれぬ」

「では、お怒りではないのですかな?」くすくすと笑いながらナインが訊ねます。

「む。それほどではないぞ」スランドュイルが眉を上げました。「とはいえ、貴公にはずいぶん忍耐力を試された、ような気もするがな」

ナインは、がははと笑ってタラガンのほうを向き、言いました。「侍従長、お茶をいただけるかな?」

スランドュイルが頷いてみせると、タラガンは茶を入れて、盆に茶器を載せてやって来ました。

「このところ、そう、単なる噂ではありますが、さまざまなことが耳に入るようになった」ナインがまた話しだしました。「ドル・グルドゥアから闇の魔王が放逐されたとはいえ、きゃつらがいつまでおとなしくしていることか、不安に思えばこそ我々は警戒をゆるめずにきたのです」

「それはわが森でも同じこと」スランドュイルが言いました。「闇の勢力がいつ復活しても対応できるよう、わが戦士たちは常に鍛錬を続けている。その日に備え、準備を怠ってはならんのだ」

「賢明です。闇の勢力はまた、動き出したようですからな」ナインが声をひそめました。「9人のうちのひとりが我々の元にやってきて、新しい勢力に加わらないかと甘言を弄しました。そして、もし我々が断るならば、我が一族、ナイン家は呪いを受けよう、と。やつはドワーフの偉大な指輪の最後のひとつがまだ私どもの手元にあると考えていたようです。恐ろしいことです」

「殿下、あの予言についてのご説明は?」グルンディンが言いました。

「もう聞いた」スランドュイルが答えました。「竜がナイン一族を滅ぼすという予言のことだろう」

ナインが身を震わせました。「その予言がなされてからというものの、私はよく夢を、実に恐ろしい夢を見るのです。親愛なるスランドュイル王よ、我々の恐れはいま、現実になろうとしている。南方に竜が来たとの噂があるのです。捕らえたオークどもの口からもその話が聞かれました。初めわたくしどもは信じておりませんでした。しかし同じ話を何度も耳にするにいたって、この噂が真実なのかどうなのかを確かめなくては、ということになりました。それで我々はこちらに参ったのです」

エルロヒアとエルラダンは互いを見合わせました。「…… 竜は来ています」エルラダンが一同に告げました。「我々はこの目で確かめました。あれは冷血竜。黒い鱗、黄色の目、長く強力な爪」

ナインは大きく目を見開くと、しばし頭をたれました。「我々はその答えを怖れていた」

「もっと悪いことがあります」エルロヒアが手にしたティーカップを下に置き、言いました。

全員がエルロヒアに注目します。

「あの竜は雌でした」エルラダンが言いました。

「そして …… 卵を産んでいます」エルロヒアが言いました。

部屋はぞっとするような沈黙に包まれました。やがてスランドュイルが口を開きました。「ナインよ、我が森でも精鋭の戦士たちを選んで貴公の一行に供させよう。このペレジルたちが道案内する。この脅威が広がって皆に破滅をもたらすまえに、我々はこの問題の源と直に向かいあわねばならん」

エルロヒアとエルラダンの口があんぐりと開きました。スランドュイルは彼らを睨みつけています。「種族を超えた善のためには協力してくれるだろうな? 我らが友よ」

エルロヒアがため息をつきました。エルラダンはあきらめて言いました。「…… わかりました。あの道程はまがまがしいものではありましたが、私どもが案内役となりましょう。それと、父には伝言を願います。もうずいぶん長い間音信不通にしています。知らせがなければ父は私たちが死んだかと心配する」

「よろしい」スランドュイルが言います。

「出立はいつをお望みですか?」エルラダンが訊ねます。

「明日、ということでいかがですか」ナインが答えました。彼は書斎の壁を見回しました。「実を申せばあの小さな竜の群れのおかげでとても気が休まらんのです。昨晩も夢に出てきた。もうあの生き物はこりごりです。王によれば交尾を済ませるまでは毎夜出てくるとの話でもありますしな」

エルラダンはほんの一瞬ですが、スランドュイルの表情に笑みが走ったのを見逃しませんでした。なんてずる賢いんだ、そうエルラダンは思いました。

「ではこれで決定だな」スランドュイルが言いました。一瞬の沈黙ののち、突然スランドュイルは笑い出しました。「ナインよ、もし私があの指輪を受け取ると言ったらどうするつもりだったのだ? やっぱりやめる、などとでも言うつもりだったか?」

「ああまさか」ナインが言います。「許されざることです。我が親愛なるエルフ王よ、あれは偽物です。本物は、そう、非常に安全な場所に隠してある。…… とはいえ」ドワーフ王は楽しそうに目を輝かせながら、スランドュイルの腕に手を伸ばしました。「もし貴殿が感謝の意にわたくしに口づけを授けようとでも仰られたのなら、私はあれを差し出してしまったに違いありませんが」

スランドュイルの当惑する様子にナイン王は大笑いしました。双子たちもにやにやしています。

「さて、魅力溢れるわが王よ」ナインが言いました。「私どもは部屋で朝食をとることとしよう。構いませんかな?」

「もちろん」そう言ってスランドュイルがタラガンに目で合図を送りました。スランドュイルはやっとこの厄介者をお払い箱にできるとばかりに、侍従長にウィンクしてみせます。

「ではさっそくご支度を」タラガンもそう言ってにっこりしました。

席を立ったドワーフ達は一礼して、部屋から出ていきました。部屋に残ったのは、スランドュイルの向かいに座った双子たちだけでした。

「実に興味深い、あのナイン王」エルラダンが言いました。「思ったより懐の深い人物のようですね」

「確かにな。まぁ今となってはあいつの仕業も理解せんでもない。だがやっとこれであいつを追っ払えるとなると、さすがにほっとしたぞ」王がじろりと双子たちを見やりました。「…… そなた達もな。同じくらいせいせいする」

椅子から少し前に身を乗り出し、エルラダンが王にたずねました。「スランドュイルよ、私と弟のなにがそんなにお気に触るのですか?」

スランドュイルはゆったりと、座っているソファの後ろに手を付きました。「傲慢で、淫乱で、我が種族の法を見下している」スランドュイルが続けます。「ペレジルは皆同じだな。そなたの父親は上級王ギル=ガラドと不適切な関係にあった。関係が続いた結果、上級王は誰とも結婚せず、跡継ぎも得なかった。彼が死んで、残った者は王を失い、王の血脈は絶たれたのだ。今わたしの目の前にいる2人だって、血がつながっているというにもかかわらず、互いに欲情している始末だ。我が領土内でお前らがもたらす影響は、堕落、それ以外ない」一呼吸ついてからスランドュイルは言葉を継ぎました。「…… 私の息子には手を出すなよ」

エルロヒアが言いました。「王よ、私たちはレゴラスに何の悪影響も与えておりません。レゴラスも同じで、私たちとの友情を喜んでいると思います。彼は素晴らしい子ですよ」

スランドュイルがエルロヒアを睨みつけました。「レゴラスはまだ若く影響を受けやすい。そなたらの言う『友情』など、ろくなことがない」

「レゴラスはもう大人です。お認めになってはいかがですか? 彼は優れた戦士であり、自分で決断することもできる。もし貴方が彼を愛しているのなら、レゴラスがこの広い世界を自分なりに探検できるよう、手元から放してあげなくては。そうやって初めてレゴラスはより強く、より賢くなっていけるのですよ」エルラダンが言いました。

スランドュイルがくっとエルラダンのあごを掴みました。「私がレゴラスを手放す? どこに? そなたらの近親相姦の寝室へか? あり得んな! 私の身内のことにまで口を出すとは、そなたらいったい何者だ?」

「我々が何者かですって? 我が王よ」エルラダンはスランドュイルの手をはねつけました。「私たちは、智に長け強大な力を誇る大いなる長、エルロンドの息子です。先ほど王は浅はかにもその栄誉を汚そうとなさいましたが、我々には恥じるところなどなにもない」エルラダンは王を睨み返しました。

スランドュイルの表情が気色ばみました。スランドュイルの拳がエルラダンの服の胸ぐらを掴み、2人は同時に席から立ちました。エルロヒアも椅子を押しのけて立ち上がります。

「…… そんなにお怒りになられるというのは、本当のところ」口を開いたエルロヒアにスランドュイルが視線を飛ばしました。「貴方こそ僕たちに興味がおありだから。違いますか?」

「…… 生意気な恥知らずどもめ!」スランドュイルはそう言ってエルラダンを押しのけると、エルロヒアの襟元を掴んで背後のソファへと突き飛ばしました。

体勢を崩したエルロヒアは、それでもすぐにソファのうえに四肢を投げ出して、息を呑むような笑顔をきらめかしました。「王よ、もう認めるといい。貴方は僕たちが欲しい。僕たちの欲情、淫蕩をあなたも経験してみたい、そう思っているのでしょう?」

スランドュイルがたじろぎました。

「2度とはない経験を」エルラダンが言葉を継ぎます。「お約束しますよ、スランドュイル」王の目に飢えが高まるのを認めて、エルラダンは心の中でにやりと笑いました。






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